迷宮都市 フェズ

✈ モロッコの旅〈その1〉

/ Fes, Morocco / Text by

「メディナに、細い通路なんかも含めて、いったい何本の道があるか知ってるかい?」

東京から遠路はるばる、ドバイでのトランジットを含めて約22時間。その上カサブランカのムハンマド5世空港に着くや、すぐに特急列車に飛び乗ってさらに4時間。こうして延々と座席に座り続けている間に、近所のパン屋のおばちゃんは練り上げたパン生地からいったいコッペパン何個分の生地を引きちぎったのだろう。そんなことを考えながら到着するのがフェズの街だ。

午後7時。モロッコと言うとアフリカなので暑い天候のイメージがあるかもしれないが、緯度は東京とさほど変わらず、そのため気温や陽の昇り沈みの時間も同様だ。10月も後半に入っていたので夜になると少し冷える。

駅前でくだを巻いているドライバー連中に適当に話しをつけて、一番良心的そうな兄ちゃんの運転するタクシーで予約している宿へ向かった。助手席にはその彼女が乗っていたり、道すがら知り合いを拾ったり降ろしたりするがそんなものは気に留めない。なにせここはモロッコ、空港の動く歩道に乗り降りするのと同じ感覚でタクシーを使って便利に目的地まで行けばいいではないか、僕の金で。

ONCF モロッコ国営鉄道 / モロッコの大動脈となっている鉄道。時間はそこそこに正確。カサブランカからフェズを4時間ほどで結ぶ。

モロッコの街は、小さな街は別だがそこそこの都市になると、周囲を3〜4階建ての建物に匹敵する高い土の壁に囲まれた「メディナ」と呼ばれる旧市街と、近代的なビルや計画的に整備された道路が走る新市街の2つの街から構成されている。

モロッコを訪れる旅行者は観光や、彼らの古くからの文化・生活に触れたい目的で大抵はメディナを目指す。伝統的なモロッカン様式の家を改築したような安価で魅力的な宿の多くも、メディナに集まるのだ。

そして、フェズは「迷宮都市」と呼ばれるほど、モロッコの中でも特に大きく複雑な構造のメディナを擁する世界遺産の街だ。

駅から3〜4km走ったところで、これ以上は車は入れないからと宿から一番近いらしいメディナの入り口で降ろされる。料金は20ディルハム、日本円で200円弱というところだ。変にぼったくられている様子はなく、これでだいたいタクシーの相場を把握できた。

さっそく、壁のひび割れのような入り口から夜のメディナへと侵入した。

自分が予約した宿は地図上で見た限りでは、薄皮のようにメディナを囲う高い壁をペロリと剥がせば見えるに違いないわりと表層に近い場所にある。知らない土地ではあるがその程度ならすぐに見つけられるだろうと思っていた。しかし、少し歩いただけでそれが途方もなく困難な仕事であることに気がつく。見える物は壁ばかりで進むほどに道は狭く暗くなっていた。ミトコンドリア。ふいに中学時代に理科の授業で習った細胞内小器官の断面図が頭の中をよぎる。

iPhoneのコンパスを頼りに宿の方向だけは維持していたが、いつしか道というよりも通路と呼ぶ方がふさわしい場所にまで入り込んでいた。左右に手を広げれば両端に手が届きそうなほどだ。メディナの外壁と同様に土の壁で覆われた家々が連なり、その間を細い道が縦横無尽にのたうち回っている。おまけに街灯の数は少なく、場所によっては足下も見えないほどに暗い。灯りが温かいオレンジ色であったのがせめてもの救いだ。異国の人間ということで、ただでさえ行き交う地元民からは物珍しげにジロジロと見られる。そのうえ街灯からも蛍光灯の青い目で高い位置から見下ろされたらこたえるというものだ。

なるほどこれがメディナ・・・・・・・かという気持ちで、少し道が開けるところまで引き返す。正確には本当に引き返せていたかどうかは分からないし自分としても知ったことではないが、とりあえず地元の人間に場所を尋ねられればよかった。

モロッコの公用語はアラビア語とフランス語だが、まったくもって話せない上にカタコトの英語で、偶然出くわせた中学生くらいの少年に話しかける。通じた。

「メディナに、細い通路なんかも含めて、いったい何本の道があるか知ってるかい?」

少し歩く速度の速い、肌が浅黒くて背の高かったその少年が、快く道案内をしてくれながら話しかけてきてくれた。うーん全然分からないね、と切り返すとちょっぴり誇らしげに彼は言う。

「三千六百だ。」

三千六百本の道を一箇所に集めてまとめて見たことがないから、それが実際にどのくらいの規模なのかは想像もつかないが、さっき迷い込んだような道がそれだけあることを考えるとゲンナリするには充分だった。

データ通信の無線ルーターを持参して来ていたのでiPhoneで地図を見ることはできたが、AppleマップはもとよりGoogleマップでさえメディナの細かなデータまでは持ち合わせていないし、モロック・テレコムの受信感度も心許なかった。メディナで行きたい場所にすんなり辿り着くなんて無茶なんだ。そのことを学ぶとフェズの滞在予定は明後日の朝までだったが、滞在中飽きるようなことはなさそうだと分かって少し嬉しくなった。

しばらく彼の導くがままに道(と通路)を進んでいくと、やがて彼が立ち止まってここだよと宿の玄関を指し示す。タクシーを降りてから迷った時間も含めると30〜40分が経過していた。壁に埋め込まれた自動車のナンバープレートほどの大きさの看板が申し訳程度に自分の名前を主張している。「Riad Layali Fes(リヤド・ラヤリ・フェズ)」。間違いない。

少年には辿々しい英語でひととおりの感謝を伝えたのたが、その後彼が要求してきたチップの金額でやや揉めることになる。しかし夜を迎えすっかり暗くなった時間に、メディナの宿の多く集まる界隈に都合良く居て、どういうわけか旅行者が泊まるさほど大きくもない宿の場所にも詳しく、異国の人間に臆することもなく気さくに道案内をしてくれる少年だ。チップをせがまれるだろうなと薄々感づいていたことが、その通りになったに過ぎない。彼が言い放った、それはさすがに吹っかけすぎだろうという金額からはだいぶ値切って、お互いあまり気分を損ねないうちに別れた。こうした面倒なやりとりもまた、旅の一節だ。やれやれ。

リヤド・ラヤリ・フェズの高さ2.5mはあるかというダークウッドの重苦しい玄関扉を開くと、内部にはメディナの狭い道や延々と続く土壁から感じる閉塞感からは懸け離れた、明るくて開放的な空間が広がっていた。

建物の最上階から一階までを貫く大きな吹き抜けを中心に、上階はコの字形で廊下が連なり、吹き抜けの真下には小さな噴水が鎮座している。床に敷き詰められたモロッカン装飾のタイルは周囲の白壁に当たると、波しぶきを上げるように紋様を細かく変化させながら壁をよじ登っていて、一階は腰のあたりまでタイルの海に浸かっている。

最初に応対してくれたおばちゃんはフランス語しか話すことが出来ず、簡単な英単語も理解をしてくれない。こちらもまともに話せるのは日本語しかないのだからしばらく埒があかず、別の従業員が現れるまでの間に熱いアッツァイを振る舞ってくれた。

一番煎じは苦いこと人生の如く、
二番煎じは強いこと愛の如し。
三番煎じは死の如く穏やかである。

昨日仕事を片付けて事務所を出て成田に向かい、モロッコでこの甘すぎるほどに甘いアッツァイを飲むまでに、何時間が経ったのだろう。もしかすると近所のパン屋のおばちゃんは新しい朝を迎えてまたパン生地を引きちぎり始めている頃かも知れない。(2012年10月15日・16日)

Morocco ’12” on Flickr
taken with SONY DSC-RX100.